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東寺界隈のこと(後編)(2016年8月-1)

東寺南門と五重塔

【東寺南門と五重塔】

前編では東寺の門前町の郷土玩具店についてでした。今回後編では弘法さんの縁日に出店している店と東寺周辺のことを 書こうと思います。 まず東寺の位置ですが左写真に見える南門が九条通りに面しており、その向こうに見える五重塔の東側が大宮通に面しています。 私がよく訪ねる「バリ雑貨」の店もこの九条通りから掘割の道を北に入ったところにある店です。
バリ雑貨としていますが私の興味はこの店で扱っている「バティック生地」という布地のほうにあります。 「バティック」昔は「ジャワ更紗」として知られた生地です。産地はバリ島の横のインドネシア本島にあるジョグジャカルタという インドネシアの第二の町や、その近くのソロという町で手工業的に生産されてきた布地です。 ただ本当に古いロウケツ染めのものはちょっとしたテーブルクロスでも4~50万円もするものでとても手が出ません。 本物は溶けた蝋を手で載せていくロウケツ染めで作られていますが最近は安いプリント生地が大半です。 バティックは独特の文様と色使いで趣があるので見ていて飽きません。私はこのパターンをプリント印刷した手ごろな生地を買い、 オーダーメイドの帽子屋に仕立てもらって楽しんでいます。同じ帽子型で生地を変え三種類ほど作り、気分により柄を選んで着用しています。
バティックの話をすると長くなるので別の機会にすることにします。 東寺の周りに目を向けます。地理的には上記のように南門が九条通りに面しており昔の都の南端、境界だったところです。 この南門から九条通りを西に100Mほどのところに府立鳥羽高校があります。あの大相撲「宇良」の出身高校です。

バティック生地とバリ小物

【バティック生地とバリ小物】

またそのあたりから北にのびる通りが「坊城通り」で「NHKぶらたもり」で有名になった「御土居」の南端・西端になっており、 市の標識が立っています。つまりここから外は“洛外”とされていました。さらにそこから西に50Mくらいに「羅城門跡」の石碑があります。 以前ネットで百年前の京都写真集を見たことがありますが、その時の南門前は民家もなく、 一面の茶畑となっていてびっくりしたことを思い出しました。ちょっと前まではこの辺りも京都の辺境だったわけですね。 そして東寺の南西角は南へ行けば「国道1号線」であり、九条通りの交差点から西には昔の「西国街道」即ち現在の「国道171号線」の起点となっています。
菅原道真も大宰府に流されるときこの西国街道を通ったと言われています。本当にこの界隈は昔も今も都の重要な街道の交差点であったことを再認識させられます。

2016年7月23日 By Kentsan

 

「東寺界隈のこと(前編)」もご覧ください

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